11月11日(金)社員として働く・広告代理店時代・・・(つづき)

0 0
未だ寒さの残る三月にしてはとびきり暖かい朝であった。社長室でF、社長、ぼくの三者会談がもたれた。その席でなにが話されたのか、今では全く記憶がない。ただ会談は比較的短時間で終わったこと、話しを聞いた社長の、穏やかではあるが毅然とした口調と、それは困りますよ、と言う言葉だけは鮮明に覚えている。その夜所用を達したFと再び寿司屋で合いFが言ったこと、お前はあの社長のもとにおれ、その方が幸せや、という言葉に自分の苦境を超えて社長の人格に惚れ込んだFの姿をみた。明くる日は東京駅にFを見送り、いつものように小腰をかがめてジッとお互いが顔を見つめる少しかわった挨拶を交わしてぼくはFと別れた。Fに恩返しをする機会が遠のいたことをFは納得した、と思った。社長はあれ以来ぼくの顔をみても何も言わず、また東京での平常な日々に戻っていた。第八営業部に新しい人材がやって来た。Nという途中入社の、ぼくとは二つ違いのナイスガイであった。ぼくはイノシシ年の生まれで、Nは丑年。今までの人生経験の中で抜群に相性のいい年回りである。というのもぼくの家内は丑年だからである。ぼくの父親はヒツジ、母は二回り違いのイノシシ、弟がヘビ、祖母がタツ、家内が丑、でこれらの干支をもった人たちとは小さい時から一緒に過ごしているので気心もよく知っていて、その関係で他人であってもこれらの干支をもっている人とはすぐ仲良くなったり、信用したりすることが出来る。反面サルやウサギといった干支の人とはあまり付き合いがなかったので、ぼくは最初にあった人にはまず干支を聞き、イノシシや丑など自分の得手とする干支の人とはすぐに打ち解けたり、干支が一緒というだけで信用したりするが、縁が遠かった干支の人とは非科学的ではあっても最初から信用したりすることはなく、どちらかというと敬遠したりするのである。なにかぎくしゃくしたり、巧くいかないことがあって聞いてみるとその人はやはりぼくの得手とする干支の人ではなかったという例がぼくには多々ある。この年になるまで得手でない人との交際が長続きしていないところを見るとあながちこれは穿った見方ではないのかも知れないと思ったりする。Nとはそういうわけで最初から打ち解けて仕事をした。ぼくの獲得した得意先は彼がフォローし、それは大阪時代のYとは違って、もっと大人の付き合いで仕事ができた。彼はぼくがやめた後も社内で尊重され国際部の部長職をしばらく務めた後取締役に抜擢されている。国際部長時代はロンドン支局をはじめとする海外支社を統括し、アメリカのDDB(有名広告代理店)との提携交渉などにも携わったのである。ある日、新聞にアメリカのハンバーガーレストランチェーンが日本上陸を狙っていると言った記事が掲載されてぼくの注意を引いた。日本側の受け口は商社の蝶理とメーカーの明治製菓が合弁で新会社を起こしこれにあたるという。新会社は設立の準備中でぼくは急いでこの会社を訪問した。(つづく)
ページトップ